長崎街道中原宿や白石鍋島家の他、江戸時代の話を盛り込んだコースです。
所用時間:約3時間30分
中原宿は6軒ありました。中でも岡崎屋は現在でも当時の名残を残し、2階の手摺りに「中原驛岡崎屋御定宿」の文字を見ることができます。
白石神社の西側にあるお茶屋の堤の傍には白石茶屋がありました。白石茶屋は隣藩の福岡藩主が佐賀藩主と交渉したり、相談したりする会場として使用されていました。
神亀元年(724)、当時の養父郡司壬生春成が創建したと伝えられています。肥前一宮と称されており、全国から一宮巡りで訪れます。
町内で140年続く老舗の蒟蒻屋。長年愛され続けている、蒟蒻の味とは・・・。
県道整備工事に伴い、姿を消してしまう千栗堤(ちりくてい)を後世に伝えるために、平成12年佐賀県文化財の認定を受け、千栗堤の一部を町が公園
化したものです。毎年7月中旬から8月にかけて3千坪の蓮池に蓮の花が咲き誇ります。
約12キロメートルあった千栗提の中で、西大島地区が度々崩れて修復費がかさむので、この修復には人柱でも立てなければ完成は難しいという話になり、佐賀から来ていた監督の一人が人柱になったそうです。人柱の碑は、県道277号線沿い(大字江口)にあります。
平野を眺めるように、みやき町の筑後川(国道264号線)沿いに建立されています。
南部の江見地区は昔、江見津と呼ばれる港町として流通の拠点でもありました。近くには市武代官所があり、六田宿も隣接していました。
みやき町でも穀倉地帯が広がる南部の地区にかけては、江戸時代の早くから蔵入地があり、代官所も設置されていました。
享保2年(1802年)の「三根郡下村郷図」には江見津や六田宿の様子が描かれています。現在でも短冊状の町並みを実感できます。
町内で100以上続く竹輪屋と豆菓子屋へ。代々守り続けている味は、町内外問わず愛されています。
(C)Miyaki Sanpo. All Rights Reserved. powered by みやき町観光協会.