西乃宮八幡神社は三根校区西島地区にある神社です。
特に平安末期から戦国時代の争乱期にはこの神社をめぐる少弐一族の栄光と滅亡が刻まれており感慨深い歴史があります。
夏には「祇園祭」、秋には「行列浮立」が行われ、季節を告げる行事として愛されています。
「八幡神社御由緒志」によると…
神社の歴史は古く、長徳2年(996)2月、一条天皇の勅願で建立されたと言われています。武門勢力の時代と共に武将の崇敬厚く、寿永年間(1182〜1184頃)地頭職鎌倉権五郎景政により社殿が改造され、祭祀が再興されたそうです。また、足利尊氏の光浄寺にかかわる事跡の中に当八幡神社に戦勝祈願をして祭田を奉納したことが記されています。
文安元年(1444)太宰少弐貞頼(しょうにさだより)の次男である横岳頼房(よこたけよりふさ)が肥前国三根郡西島に西島城を築いてから、この神社を鎮守とし守護神としてあがめ、横岳氏5代にわたって信仰されていました。しかし5代目鎮貞(しげさだ)の時に豊後の大友氏の支配下に入り、その後龍造寺隆信の攻撃に耐えきれず、かくまっていた少弐政興(しょうにまさおき)を、沖神事の祭りの夜中に筑後川を下って島原へ逃れさせ、自らも龍造寺氏の配下となります。(本家である少弐氏は永禄2年(1559)1月、勢福寺城(神埼市神埼町城原)にて滅亡)
現在、悪日祓いとして9月12日に汐入御幸として行われている祭礼は少弐氏、横岳氏を偲ぶ行事であるとも伝えられています。
神社はその後、肥前国が鍋島藩政になると旧三根郡(三川、南茂安上峰、江口)の宗祀とし古式例祭により祭祀を行い、社費祭費一切を鍋島藩が受け持ち、祭礼当日は鍋島家から警護頭人並びに目付、郡代方等を出張させたという記録が残っています。
維新改革により明治6年(1873)郷社に列せられ、旧三根郡の宗社として「西乃宮八幡宮」の通称で崇敬を受けたそうです。
数度の戦火で焼け、現在の社殿は明治13年(1880)に市武区務所によって改築されたもので、入り口にある3mの肥前鳥居は、町の重要文化財に指定されています。
西乃宮八幡神社
御祭神:誉田別命、神功皇后、比売神
祭礼日:1月1日・歳旦祭、2月28日・おかいさん、4月15日・春祭、 6月30日・大祓、7月15日・祇園祭、9月12日・沖神事、10月20日・秋大祭御神輿、11月15日・七五三祭、11月28日・新穀感謝祭、12月31日・大祓
境内社:小字神社、祖霊社、高良玉垂神社、太神宮、天満宮
住所:みやき町大字西島1198
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